
From 日向 沙羅( Mail ) To juncoop5@goo at 2004 11/03 04:23 編集
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BWV50その他
皆様どうもお久し振りの日向です。 皆様変わらず様々な音楽(特にバッハ)を聴いておられるようですね。 近年私たちを取り巻く環境、情報、生活等が目まぐるしく変化する中で、 音楽を、そしてバッハ作の演奏を愛するという点で変わらない方々がある。 とても安心します。 音楽もそうなのですが、同一空間を享受する人がいる。 それを想うだけで満たされた気持ちになります。 グッデンベルクやリヒテルなど、 皆様からの情報で私の興味を惹く演奏が次々。 おかげで私の探求も飽くことがありません。 いつもながら感謝しております。
juncoopさんには個人的メールミスでお世話とご迷惑をお掛け致しました。 通常個人的メールでなくできるだけ掲示板へカキコするのですが、 事情が事情なのでjunさんへの個人的メールになってしまい 申し訳ございませんでした。 補足させて頂きますと、メールミスへのお詫び送信時に、 それだけ書いても芸がないと考え、 日向の近況(リリング全集を聴く)を添えたものでした。
>このHPのBACH1000のカンタータ第50番をぜひ見てみてください。
確認しないで述べたことを恥じております。 私が抱いた感覚が書かれておりました。
>>大規模な祝祭カンタータであったと推定され >>祝日のためのカンタータであった可能性もある >>異例なほど華やかな展開 >>特別な機会のために書かれたものではないかと思われる >>しかし声部が多いこともあって、個々の対位主題は線的には聞こえず、 >>ぶ厚い和声として聞こえてくる。この曲では様々な対位法の技法が巧みに用いられている
以上引用させて頂きましたが、まったく日向の幼稚な感覚に対して、 こちらは専門語句を伴った説得力のある解説でした。 既に皆様がご存知だった内容と重複してしまい、心苦しく思っております。
ただ1点、気になることが。 幸いという表現が適切かは?ですが、今私が聴いているリリングは 全集として残してくれています。 このBWV50が私達の聴ける他のカンタータに 転用(編曲)されているケースについてはどうでしょう? 今のところ日向が聴いている限り (曲の多さではリヒターと、現在途中のリリング) 類似した曲はなさそうに感じられます。
本当に他のカンタータとは類似しない独立した曲なのでしょうか。 もしそうなら・・・。本当に貴重な曲を消失してしまったものです。 消失でなくもしバッハが中断したものであれば、 これはこれで残念です。完成形が聴きたかった・・・。
あ、ぶちぶちと書いてしまいましたが、 残された曲でも十分喜ばしい(フーガの技法;未完フーガの例もあるし)。 そこで納得するべきなのでしょうね。
HPの保存版からBVV50の記事を見て不思議に思った点を、 専門的なことはまるで無知で感覚的でしかない日向が、 ちょこっと書いてみようかなー。
>黙示録12,10
あくまでリヒターのCDに付いてた曲解説からでしか私は判断できないのですが、 (英語やドイツ語は・・・だめだぁ) カンタータ全体の比重で考えると、歌詞に黙示録を用いたケースは あまり多くないと思うのです。 書簡章句、使徒行伝、聖人伝(マタイ・ルカなど)を用いた歌詞は多く、 特に書簡章句からの表現は目を惹きます。 その点からもBWV50は特殊と思え、編曲の天才であるバッハが 1回の演奏(作曲)だけで済ませたとは考えにくいのです。
>彼によれば、合唱の8声への拡張は、未知の編曲者によるものということになるが、 >確かにこの曲見られる、主題の和声的な補強はバッハ的ではなく
!、やはり偽作の可能性もあるわけですね。 と言っても否定的意味ではありません。 私が非常に感銘を受けているレクイエム(モーツアルトで一般に通っている)でも、 大半がジュスマイヤーが書いたと思われるラクリモサ以降でも 極めて美しい曲が多くありますし(日向の感動はhostias)、 私達は作曲者や演奏家の名前で聴いているのではなく、 心に沁みる曲を求めているのですから、 その点では誰が書いて(補筆して)いようと構わないわけです。
ですが、別の人が書いたとすれば非常に良く出来ている。 専門的な分析は全く圏外ですが、とてもバッハ的に聞こえる。 補筆した人も、”バッハ”はどうでも良くて、 断片なりモチーフなり、 心に響いた結果がとてもバッハ的になったのでしょうね。
またまた毎回でありますが長文となってしまいました。 今リリングの中で(BWV102まで)日向がハマっているのは、 ここまで述べたBWV50の他に、 BWV7のバスアリア (通奏低音のチェンバロがとても美しく、このパートだけを耳ダンボにしてしまう。) B
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